トバ湖を旅すると、「バタックの村」「バタック料理」「バタック音楽」という言葉に何度も出会う。
けれども「バタック」とは何を指すのか、と問われると、簡単には答えられない。この言葉は、ひとつの均質な民族集団の名前としてそのまま使えるものではないからだ。
CHAPTER 01
「バタック」という呼び名を、疑ってみる。
学術的な研究では、「バタック」という呼称そのものが外部からのまなざしを含んで形づくられてきたことが指摘されている。Brill刊行のインドネシア・キリスト教史の研究(Steenbrink & Aritonang)も、スマトラの人々の多様さと、その呼び分けの複雑さに注意を促している。
一般にはトバ、カロ、シマルングン、パクパク、アンコラ、マンダイリンといった集団がまとめて語られることが多い。ただしこの区分の線の引き方や、どこまでを「ひとつの民族」と見るかについては、研究上の議論がある。この記事では、トバ湖周辺で暮らしてきた人々をBatak Toba(バタック・トバ)と呼び、ほかの集団と同一視しない書き方を選ぶ。

CHAPTER 02
マルガ(氏族)という、名前のしくみ。
Batak Tobaの社会を理解するうえで欠かせないのが、マルガ(marga)と呼ばれる父系の氏族名だ。シマンジュンタック、シトルス、シナガ、シダブタル。旅先で出会う名字の多くはこのマルガであり、名前を聞けば、その人がどの系譜に連なるのかが分かる。
マルガは単なる姓ではない。誰と結婚できるのか、儀礼の場で誰がどの役割を担うのかといった、社会関係の枠組みそのものとして機能してきた。
CHAPTER 03
ダリハン・ナ・トル ― 三つの支え。
この社会関係を言い表す言葉が、ダリハン・ナ・トル(Dalihan Na Tolu)である。直訳すれば「三つのかまど石」。鍋を支える三つの石のように、社会が三つの立場で支え合うという考え方だ。
三つの立場とは、妻を迎える側(boru)、妻を出す側(hula-hula)、同じマルガの兄弟(dongan tubu)を指す。学術論文でも、これはBatak Tobaの親族制度の中核として扱われている。結婚式でも葬送儀礼でも、誰がどこに座り、誰が誰に敬意を示すのかは、この関係によって決まる。
観光の場で見る踊りや衣装の背後には、この見えない秩序がある。
CHAPTER 04
言語と、信仰の重なり。
日常ではバタック・トバ語が話され、同時にインドネシア語が公用語として使われている。トバ湖周辺では、両者を行き来しながら話す姿がふつうの光景だ。
信仰については、19世紀後半以降のドイツ系プロテスタント宣教(ライン伝道会の活動)が大きな転機となり、現在ではキリスト教徒が多い地域として知られる。ウンディップ大学の研究(2025)は、1861年から1940年にかけての宣教活動と、在来の慣習、植民地支配が互いに影響しあった過程を論じている。
一方で、イスラム教徒の人々もおり、在来の信仰の流れをくむパルマリムと呼ばれる人々も存在する。「バタック=キリスト教」と単純化することはできない。
CHAPTER 05
いまを生きる人々として、出会う。
トバ湖周辺の村では、農業や漁業、観光に関わる仕事が営まれている。同時に、メダンやジャカルタをはじめ各地へ出て働き、祝祭のたびに故郷へ戻る人も多い。
伝統は博物館に収められているのではなく、いま生活している人々が受け継ぎ、変えながら使っている。次の物語では、その暮らしがもっとも目に見える形で現れる場所――家の屋根へ、視線を移してみよう。
